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【モロッコ】クトゥビーヤ・モスク「厳格なイスラムの王が築いた、マラケシュの象徴」

【モロッコ】クトゥビーヤ・モスク

モロッコ中部に位置するマラケシュ(マラケシ)は、ベルベル人の王朝であるムラービト朝により、1070年ごろに築かれた歴史ある都市です。

その旧市街「メディナ」は北アフリカでも最大の規模であり、王宮のほか、バイア宮殿エルバディ宮殿サアド朝の墳墓群ベルアベ陵アグダル庭園、そして今回ご紹介するクトゥビーヤ・モスクなど、歴史的な建造物が数多く保存されていることから、1985年に「マラケシ旧市街」として世界遺産に登録されました。

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露店でにぎわうマラケシュの広場。クトゥビーヤ・モスクが街のシンボルのようにそびえている。

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旧市街には高層ビルなどがないため、街のどこからでも見ることができる。

クトゥビーヤ・モスク建設の概要

1147年、ムラービト朝がムワッヒド朝に滅ぼされると、霊廟(れいびょう)などを除くほとんどの施設が造り変えられていくことになりました。クトゥビーヤ・モスクが完成したのも、この時代のこと。

クトゥビーヤ・モスクがあった地は、かつて写本を売る露店が集まる場所だったため、アラビア語で「図書館員」を意味する「アル=クトゥビーイン」という言葉に由来して名付けられました。

このモスクを築いたのは、ムワッヒド朝の第三代君主である、ヤアクーブ・マンスール

彼は、スペインや東方での戦いに勝利し、王朝の版図を最大まで拡大した王としてたたえられた人物です。しかし一方で、キリスト教徒や王のイデオロギーに反するイスラム教徒まで弾圧したことから、ムワッヒド朝はしだいに求心力を失い、のちの弱体化につながっていくことになりました。

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レンガ造りのクトゥビーヤ・モスク。伝統的なムワッヒド朝時代の様式で建てられており、塔の高さは69メートル、側面の長さは12.8メートルにもなる。

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モスクの隣には、廃墟の一部が残されている。

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モスクの周囲には庭園や広場が設けられ、人々の憩いの場にもなっている。

ミナレットの4つの玉にまつわる伝説

クトゥビーヤ・モスクのミナレット(尖塔)の頂上に縦に並ぶ、シンボリックな4つの玉。じつはこの玉、もともとは3つだけの設計だったといい、これには次のような言い伝えが残されています。

”モスクを建設した王ヤアクーブ・マンスールの妃が、ラマダーン中の断食を行わなかったことから、王が罰として王妃の宝飾品を溶かし、4つ目の玉として追加してしまった。”

というもの。真偽のほどは分かりかねますが、厳格な王の性格がうかがえる言い伝えですね。

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クトゥビーヤ・モスクの頂上にある黄金の4つの玉。

DATA

◉アクセス:ラバト・ビル駅からマラケシュ駅まで列車で約4~5時間、駅からバスで約15分。
◉休業日:無休。ただし、イスラム教徒以外はモスクとミナレットへの入場は不可。

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