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【後編】「負の世界遺産」とは? 未来に伝えるべき人類の贖罪

3. 【ポーランド】アウシュヴィッツ・ビルケナウ ナチスドイツの強制絶滅収容所(1940-1945)

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「死の門」と呼ばれていた、アウシュヴィッツ第2強制収容所へと続く線路(Sirio Carnevalino / Shutterstock.com)。

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「労働は自由を作る」と掲げられた入り口の門。

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収容所内には有刺鉄線が張り巡らされている。

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収容された人々が寝ていた小屋。

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「ホロコースト」の被害者たちの靴。おびただしい数の人々の命が失われたことが分かる(Brais Seara / Shutterstock.com)。

アウシュヴィッツ・ビルケナウ強制収容所は、ナチスドイツが第二次世界大戦中に国を挙げて推進していたユダヤ人に対する大量虐殺「ホロコースト」および強制労働によって、数百万人もの尊い命が奪われた収容所

アドルフ・ヒトラー率いるナチス党政権下のドイツが組織的に行った「ホロコースト」の象徴といわれており、1940~45年にかけて、当時ドイツの占領下に置かれていた現在のポーランド南部の街、オシフィエンチム(ドイツ語でアウシュヴィッツ)に建てられました。

収容所には、ユダヤ人政治犯ジプシー精神障害者身体障害者同性愛者聖職者、そしてこれらの人々をかくまった者などが強制的に入れられ、ピーク時の1943年には約14万人が収容されていたといいます。

1979年、二度とこのような過ちが起きないようにとの願いが込められて、世界遺産に登録されることとなりました。

4. 【日本】原爆ドーム

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原爆ドーム外観。中央のドームの枠組みが丸見えになっている。

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元安(もとやす)川のほとりに建つ原爆ドーム。川を挟んだ反対側には広島平和記念公園が広がっている。

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原爆投下当時の三輪車が、爆発の激しさを物語っている(cowardlion / Shutterstock.com)。

原爆ドームは、広島県広島市にある広島平和記念碑のことで、第二次世界大戦中に広島に投下された原子爆弾の惨状を後世に伝えるための記念碑。同じ悲劇が起こらないようにとの願いと戒めが込められ、1996年に世界遺産に登録されました。

もともとは、広島県内の物産品を展示するための「広島県物産陳列館」として1915年に開館したのがはじまり。

1933年には「広島県産業奨励館」に改称され、広島の文化拠点としての役割を担っていました。しかし、大戦末期の1945年8月6日アメリカ軍によって原子爆弾が投下され上空で炸裂し、爆風と熱線が直撃。

原爆が炸裂した1秒後に建物の本体部分はほぼ崩れてしまいましたが、中央のドーム部分だけ奇跡的に全壊をまぬがれ、枠組みと外壁だけが残ったのです。

戦後は取り壊しも検討されたそうですが、原爆の惨禍を後世に伝えるシンボルとして、1966年に広島市によって永久保存されることが決まりました。

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