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【世界の官能名画美術館 #5】マネの「オランピア」

西洋の美の歴史は、つねに性愛とかかわるものでした。あまたの巨匠たちが性を想起させ、異性を誘惑する魅惑の肉体を備えたヌード画を描き、究極の美を追求してきたのです。

このシリーズでは、世界に名だたる西洋絵画の巨匠たちと、彼らが究極の美を追い求めて描いた名画をご紹介していきます◎

誰もが知る名画には、いったいどんなエロティシズムが隠されているのでしょうか?

第5回目は、印象派の巨匠エドゥアール・マネ「オランピア」についてひも解いてみましょう。

物議を醸した、パリの高級娼婦のヌード

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「オランピア」。1863年、油彩・カンヴァス、130.5×190cm、パリ、オルセー美術館所蔵。

印象派の巨匠として知られるエドゥアール・マネが描いた「オランピア」は、1865年のサロンに初めて出品されました。

とたんに、この裸婦像はフランス画壇に大きなスキャンダルをまき起こしたのです。

この2年前にも、女性の裸体が描き込まれた「草上の昼食」で大きな物議を醸した、マネならではの作品といえます。

マネの作品のなかでもとりわけ知られた「草上の昼食」は、衣服を着た上流階級の男性と、裸体の女性という異色の組み合わせでしたが、この「オランピア」はより直接的に、パリという大都会で生きる高級娼婦をモチーフとしています。

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「草上の昼食」(当初の題は「水浴」)。1863年、油彩、キャンバス、207 × 265 cm、オルセー美術館所蔵。1863年サロン落選、落選展展示。

モデルとなった女性は、マネが好んで描いたヴィクトリーヌ・ムーランといわれています。

彼女は当時の華やかなパリ社交界で有名な存在でしたが、本作では娼婦の通称名である「オランピア」を冠され、姿も娼婦風に描き替えられています。

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「草上の昼食」や「オランピア」のモデルになった、ヴィクトリーヌ・ムーラン。

同時代の新聞記事によれば、1865年、「オランピア」が飾られたサロンでは、絵に腹を立てた観客が傘やステッキで作品に殴りかかるのを制止するため、警備員が2名ついていた、とあります。

娼婦が主題となるということ自体が、上流階級の人間にとってスキャンダラスなことだったのです。

しかし、19世紀後半のパリでは、12万人もの娼婦が仕事をしていたと記録されています。

いわばマネの絵は、社会の良識派が見て見ぬフリをした社会の暗部を白日の下にさらす、きわめて社会批評に富んだ作品だったのです。

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画面のこちら側をまっすぐ見つめる「オランピア」 の美女。娼婦とされる裸婦の姿を見て、パリ市民は憤慨したというが、彼女の眼差しが彼らの偽善をえぐりだしたのかもしれない。当時のパリには10万を超える娼婦たちが仕事をしていた。憤慨したパリ市民らも、密かに彼女たちの世話になっていたことだろう。

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「オランピア」の美女は、裸体であるが首に結ばれた黒い紐のように、細部に「娼婦としてのしるし」がいくつも描き込まれている。腕飾りや、幾分平凡かつ、脱ぎかけのサンダルなどが、彼女の身分を明かしている。

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「草上の昼食」に続いて「オランピア」のモデルとなった、ヴィクトリーヌ・ムーランの肖像(1862年、油彩・カンヴァス、43×43cm、ボストン美術館所蔵)。

印象派の巨匠、マネ(1832-1883年)

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フランスの写真家ナダールによる肖像写真(1867-1870頃)。

1832年、フランス・パリのブルジョワ家庭に生まれたエドゥアール・マネは、美術愛好家の伯父の影響もあり、早くから多くの芸術に親しんでいました。

自然、画家を志すようになりましたが、息子の不安定な将来を案じた両親は、マネを海軍に入れようとしたそうです。

しかし1848年、マネが16歳の頃、海軍兵学校を受験するも失敗。再試験を待つあいだ、見習い船員として南米まで半年間の航海に出ました。

帰国後、再度受験するもまたもや失敗。両親は息子の願いを受け入れ、晴れてマネは画家を目指すこととなります。

1850年、画家トマ・クチュールのアトリエに入門したマネは、オランダやイタリアを旅行しながら、多くの研さんを積み、6年後に独立。

当初は、ベラスケスに代表されるスペイン芸術のリアリズムの影響を色濃く受けていましたが、しだいに輪郭線をぼやかし、光と色彩にあふれる画風を確立したのです。

ちなみに、今日では印象派の巨匠として知られるマネですが、一方で、印象派の展示会には生涯一度も出品をしていないそう。

1883年、壊死した左足の手術の影響により、永眠。51歳のときでした。

出典:『世界の官能名画―光と闇に彩られた官能絵画の祭典』(メディアソフト)

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『世界の官能名画―光と闇に彩られた官能絵画の祭典 』(メディアソフト)

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