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【世界の官能名画美術館 #11】シーレの「抱擁(恋人たち)」

西洋の美の歴史は、つねに性愛とかかわるものでした。あまたの巨匠たちが性を想起させ、異性を誘惑する魅惑の肉体を備えたヌード画を描き、究極の美を追求してきたのです。

このシリーズでは、世界に名だたる西洋絵画の巨匠たちと、彼らが究極の美を追い求めて描いた名画をご紹介していきます◎

誰もが知る名画には、いったいどんなエロティシズムが隠されているのでしょうか?

第11回目は、“早世の天才”エゴン・シーレ「抱擁(恋人たち)」についてひも解いてみましょう。

少女誘拐の罪で逮捕された画家

【世界の官能名画美術館 #11】シーレの「抱擁(恋人たち)」01

「抱擁(恋人たち)」。1917年、油彩・カンヴァス、100×170.2cm、ウィーン、オーストラリア絵画館 (ベルヴェデーレ宮)所蔵。

クリムトと同時代のオーストリア・ウィーンで活躍しながら、28年というあまりに短い生涯だった画家エゴン・シーレ。

彼は1912年、未成年の少女を誘拐したかどで逮捕されてしまいます。シーレは多くの少女の絵を描き残していますが、彼自身にロリータ・コンプレックスのたぐいの性癖があったかどうかは定かではありません。

少なくともこのときは、無罪とされ釈放されましたが、未成年者にポルノグラフィーを見せたことで、24日間の禁固刑となり、見せしめとして、自身の作品を一部、焼かれてしまったといいます。

【世界の官能名画美術館 #11】シーレの「抱擁(恋人たち)」02

エゴン・シーレ「黒髪の少女の裸像(立像)」。1910年、鉛筆・水彩・色紙、56×32.5cm、ウィーン、アルベルティーナ美術館所蔵。エゴン・シーレはしばしば、題材に少女を描いているが、下町の子どもを誘って絵のモデルにしていたため、近隣の住民から快く思われていなかったようだ。少女のモチーフと同じく、女性同士の交わりもまたしばしばシーレ作品の主題として選ばれた。いずれも性器をなんらかのかたちで誇張させたものが多い。

性に対するシーレの不穏な感情は、1915年にエディット・ハルムスと結婚するまで続きました。今回紹介する「抱擁(恋人たち)」は、シーレの作品のなかでは珍しく、平静さと安らぎを感じさせます。

しかし、この平穏も長続きせず、エディットは子どもを身ごもったまま、インフルエンザで死去。その3カ月後には、シーレ自身が同じ病気で亡くなってしまうのでした。

早世の天才エゴン・シーレ(1890-1918)

【世界の官能名画美術館 #11】シーレの「抱擁(恋人たち)」03

エゴン・シーレの肖像写真。

1890年、オーストリア・ハンガリー帝国の首都ウィーンに生まれたエゴン・シーレは、芸術に関して早熟な才能を有していました。

グスタフ・クリムトも学んだウィーン工芸学校に入学し、職人になるのではなく、芸術家になることを志したシーレはその後、ウィーン美術アカデミーに進学しています。

しかし、保守的なアカデミーの伝統に嫌気がさしていたシーレは、クリムトの知遇を得て、分離派や世紀末ウィーンの新潮流を続々と排出していたウィーン工房に推薦され、1908年、最初の個展を開きました。

ねじれたような特異なヌード画は、猥雑のレッテルを貼られるなど、必ずしもその前半生はよいものではありませんでしたが、第一次世界大戦も終わり頃の1918年、第49回ウィーン分離展に50点以上もの新作を出品し、大きな名声を得ることとなりました。

しかし、この幸運も長く続かず、当時流行していたスペイン風邪(インフルエンザ)のため、妻に続いてシーレも個展と同年の1918年、28歳の短い生涯を閉じたのでした。

出典:『世界の官能名画―光と闇に彩られた官能絵画の祭典』(メディアソフト)

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『世界の官能名画―光と闇に彩られた官能絵画の祭典 』(メディアソフト)

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