”世界一スキャンダラスな作品”の、「女性器」の持ち主がついに判明!【世界の官能名画美術館 #6】クールベの「世界の起源」top

”世界一スキャンダラスな作品”の、「女性器」の持ち主がついに判明!【世界の官能名画美術館 #6】クールベの「世界の起源」

西洋の美の歴史は、つねに性愛とかかわるものでした。あまたの巨匠たちが性を想起させ、異性を誘惑する魅惑の肉体を備えたヌード画を描き、究極の美を追求してきたのです。

このシリーズでは、世界に名だたる西洋絵画の巨匠たちと、彼らが究極の美を追い求めて描いた名画をご紹介していきます◎

誰もが知る名画には、いったいどんなエロティシズムが隠されているのでしょうか?

第6回目は、ギュスターヴ・クールベが描いた、”西洋絵画史上最もスキャンダラスな作品”といわれる「世界の起源」。発表から152年間、謎に包まれてきたこの「女性器」を持つモデルの正体が、フランスの歴史学者の発見によって、このほどついに判明したのです!

あらゆる美化を排除した、リアリズムの到達点

女性の性器を真正面から描いた西洋絵画史上、最もセンセーショナルかつスキャンダラスな作品が、ギュスターヴ・クールベ「世界の起源」です。

女性器を描くというタブーに、一切のぼかしや美化をせずに挑んだ意欲作で、あたかも医者の手術台の上に置かれたかのように正確に描かれた本作は、まさしく写実絵画を大成したリアリズムの巨匠クールベの代表作といっても過言ではありません。

画面いっぱいに描かれた女性の過激かつ露骨な裸体は、胸から太ももの部分で切られており、顔は布で覆われているため、これまで長きにわたって、このモデルは誰なのかという論争が繰り広げられてきました。

有力な説は、アメリカ人画家ジェームス・ホイッスラーの恋人で、絵画のモデルでもあったアイルランド人女性ジョアンナ・ヒファーナン

彼女はホイッスラーが不在の折、当時クールベが活動していたフランス・パリを訪ね、クールベのレズビアン的な作品「眠り」のモデルになっています。

また、クールベとも男女の仲にあったともされ、後年、ホイッスラーとクールベの仲違いの原因ともなったといいます。

しかし、濃いアンダーヘアもまた印象的な本作。

ジョアンナは赤毛であったため、ヘアの色が違うということから、別のモデルだとする説もありました。

【世界の官能名画美術館 #6】クールベの「世界の起源」02

ジョアンナ・ヒファーナンがモデルをつとめた、クールベ作の「眠り」(1886年、油彩・カンヴァス、135×200cm、パリ、プティ・パレ美術館所蔵)。 この絵が描かれた折に、クールベとジョアンナは男女の関係となったともいわれている。

【世界の官能名画美術館 #6】クールベの「世界の起源」03

ジョアンナ・ヒファーナンがモデルとなった作品。ジェームス・ホイッスラー作「白のシンフォニー第1番 白の少女」(1862年、油彩・カンヴァス、214.6×108cm、ワシントン、ナショナル・ギャラリー・オブ・アート所蔵)。

ついに判明したモデルの正体は!?

”世界一スキャンダラスな作品”の、「女性器」の持ち主がついに判明!【世界の官能名画美術館 #6】クールベの「世界の起源」01

オルセー美術館に展示されている、ギュスターブ・クールベ作「世界の起源」。

それがこのたび、フランスの歴史学者クロード・ショプの発見によって、モデルの身元がついに判明したというのです。その女性というのが、当時パリ・オペラ座バレエ団の元バレリーナで、高級娼婦でもあったコンスタンス・クニョー

それが分かったのは、フランス国立図書館で調べものをしていたショプが、『椿姫』の作者である作家アレクサンドル・デュマ・フィスの手紙の写しを見ていたところ、原本とは違う表記ミスを偶然発見したことがきっかけなんだそう。

その手紙の一節というのが、こちら。

「パリ・オペラ座バレエ団のミス・クニョーの最もデリケートで、最も堂々とした『インタビュー』を描写できる人はいない」

この『インタビュー(interview)』という部分が、原本では『内部、秘部(intérieur)』になっていたのです。つまり、クニョーのあからさまな女性器を描いたクールベを批判した内容だったことが判明し、これによってモデルもコンスタンス・クニョーであることが、ほぼ確実になったのです。

生まれながらの画家、クールベ(1819-1877年)

【世界の官能名画美術館 #6】クールベの「世界の起源」04

「絶望(自画像)」、1843-1845。

1819年、スイス国境近くの地主の息子として生まれたギュスターヴ・クールベは、21歳のときにフランス・パリのソルボンヌ大学法学部に進学するかたわらで、アカデミー・スイスに通い、画家修行に励んでいました。

法学部進学は、息子を法律家にさせたい父親の意向でしたが、クールベはのちに「生まれながらの画家」と称されたように、芸術への情熱に満ちあふれていました。

1844年に遅まきながら、初めて作品がサロンに入選

アングルドラクロワといった巨匠たちに作品を評価され、画業の道をまい進することとなります。

今回紹介した問題作「世界の起源」のように、彼のモットーは誇張された英雄や空想的な絵画よりも、自分が生きている時代をありのままに描くことでした。

それはしばしば時代への純粋ではっきりとした批評ともなったため、物議を醸し、反発にあう原因ともなったのです。

1870年、パリ・コミューン(革命自治体)に参加したことで、新政府により逮捕されてしまったクールベ。

1873年にスイスへと亡命すると、その4年後、二度とフランスへ戻ることなく、同地で亡くなりました。

出典:『世界の官能名画―光と闇に彩られた官能絵画の祭典』(メディアソフト)

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『世界の官能名画―光と闇に彩られた官能絵画の祭典 』(メディアソフト)

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