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【日本】軍艦島「”世界七大禁断の地”にも選ばれた、朽ち果てた無人島」

かつて日本の近代化を支えた島

長崎県長崎市、長崎港の南西約20キロほどの海上に浮かぶ「端島(はしま)」。通称「軍艦島」として知られるこの島は、狭い土地に林立するコンクリートの住居群と護岸壁が、日本海軍の戦艦「土佐」に似ていることからそう呼ばれるようになりました。

この軍艦島は明治~昭和期にかけて海底炭鉱によって栄え、日本の近代化を支える重要な炭鉱のひとつとなっていました。

1916年には、日本で最初となる鉄筋コンクリート製の集合住宅「30号棟」が建てられ、島内の人口はふくれ上がることになります。最盛期には5000人を超える人が住み、その人口密度は東京を超えて世界一を誇っていたといいます。

しかしその後、1960年以降は主要エネルギーが石炭から石油へと移行したことにより徐々に衰退し、1974年に閉山。これに伴って島民が軍艦島を離れてからは、建物などもそのまま放置され、無人島となっています。

2012年、アメリカのニュース放送局CNNが発表した「世界七大禁断の地(7 of the freakiest places on the planet)」のひとつとして、富士の青木ヶ原樹海とともに選出されて大きな話題を呼びましたが、2015年には軍艦島を構成遺産に含む「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」として、世界遺産に登録。

今では世界各地から廃墟マニアや観光客が訪れる、日本を代表する観光地のひとつとして人気となっています。

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海上に浮かぶ軍艦島。本来は南北約320メートル、東西約120メートルの小さな瀬だったが、埋め立て工事によって約3倍の面積に拡張。その結果、南北約480メートル、東西約160メートルとなり、南北に細長く、海岸線は直線的で、島全体が護岸堤防で覆われた現在の姿になった。

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廃墟となった多くの建物がひしめき合って建っている光景は、おそろしくもあり、はかなくもある。

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桟橋から軍艦島へと上陸する観光客。

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かつては総合事務所として使用されていた建物の残骸。

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地面には崩れた建物の残骸や島民が残していったものが一面に散らばっている。

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崩れずに保たれているのが不思議なほど、どこもボロボロになっている。

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1936年に建設された、小高い丘の上に建つ端島神社。当時は例祭「山神祭」が毎年4月3日ごろの日曜に開催されており、神輿(みこし)が「地獄段」と呼ばれる階段を駆け降りるのが名物になっていた。

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日本初の鉄筋コンクリート造りのアパート「30号棟」。最初は4階建てだったが、後に7階建てに増築された。軍艦島と共に世界遺産となっているグラバー邸のトーマス・ブレーク・グラバーと関わりがあるという説があり、通称「グラバーハウス」とも呼ばれる。

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軍艦島最大のアパートである「65号棟」。コの字型をしており、部屋数は317戸、屋上には幼稚園も備えていた。

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右正面から「48号棟」、「14号棟」、「3号棟」。左の建物は「51号棟」。

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夕暮れに浮かび上がる軍艦島。そのシルエットは、まさに軍艦そのものだ。

DATA

◎アクセス:長崎港から高速船で約30分。ツアーでのみ上陸可能。

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