【世界の官能名画美術館〈番外編 4〉】「ヴィーナス」制作の歴史

西洋の美の歴史は、つねに性愛とかかわるものでした。あまたの巨匠たちが性を想起させ、異性を誘惑する魅惑の肉体を備えたヌード画を描き、究極の美を追求してきたのです。

このシリーズでは、世界に名だたる西洋絵画の巨匠たちと、彼らが究極の美を追い求めて描いた名画をご紹介していきます◎

誰もが知る名画には、いったいどんなエロティシズムが隠されているのでしょうか?

今回は番外編、第4回。女神を表現する際の、西洋絵画の伝統ともいえる「ヴィーナス」制作の歴史をたどってみましょう◎

「ヴィーナス」像制作は、女性ヌードを描く口実だった!?

西洋美術の伝統は、古代ギリシャ・ローマにおける美術と、キリスト教美術の影響によって形づくられてきました。

392年にキリスト教がローマ帝国で国教化されて以降、ヨーロッパはキリスト教の影響下に置かれ、美術の分野においてもキリスト教美術を中心にめざましく発展していくこととなります。

しかし、こと女性の肉体美を表現するヌード美術が最初に花開いたのは、古代ギリシャにおいてでした。

キリスト教による性規範に影響されていない古代においても、女性の裸体像が制作されることはなく、裸体といえば、男性の肉体美に限られていました。

紀元前4世紀中頃になって初めて、プラクシテレスによって「クニドスのヴィーナス」の石像が作られます。

「クニドスのヴィーナス(ローマン・コピー)」。紀元前350〜340年頃、大理石、高さ204cm、ヴァチカン市国、ヴァチカン美術館蔵。プラクシテレスによるヴィーナス像の複製。オリジナルは現存していないが、のちの時代にさまざまな複製品が制作された。ヴァチカン美術館にある本作は、なかでも最も忠実な複製品として知られる。

そしてこれが、大きなスキャンダルを引き起こしたことにより、以後、”愛と美の女神”である「アフロディーテ(ローマ神話ではウェヌス、英語圏ではヴィーナス)」は、裸体で表現されることとなるのです。

紀元前4世紀から1世紀、いわゆる「ヘレニズム美術」が大成した時代では、「カピトリーノのヴィーナス」のように、胸と恥部を両手で隠すしぐさをした「慎みのヴィーナス」タイプの作品が流行していきます。

「カピトリーノのヴィーナス(ローマン・コピー)」。紀元前330〜225年頃、大理石、193㎝、ローマ、カピトリーニ美術館蔵。乳房や陰部を両手で隠した姿は、「慎みのヴィーナス」として知られ、その後のヴィーナス像制作に大きな影響を与えた。ボッティチェッリの「ヴィーナスの誕生」のポージングも本作に着想を得ているとされる。

紀元前130年頃に制作されたとされる「ミロのヴィーナス」は、両手が失われていますが、一説ではこのような「慎みのヴィーナス」のポーズをとっていたのではないか、ともいわれていますが、他方では、下半身には布が巻かれ、微妙な身体のひねりが表現されているところから、「慎みのヴィーナス」とは異なる姿だったとも考えられています。

「ミロのヴィーナス」。紀元前100年頃、大理石、高さ202㎝、パリ、ルーヴル美術館蔵。滑り落ちた衣を両足で挟んで止めようとする瞬間を表現したものといわれる。失われた両手がどんな姿であったかはさまざまな論争を呼んでいる。

その後、古代ギリシャ・ローマからキリスト教の時代へと移り変わっていった西洋社会において、女性のヌードはタブー視されてきました。

『旧約聖書』に記された、”アダムとイヴが禁断の果実を食べることで裸体を恥ずかしく思うようになった”という挿話は、端的に裸体であることへの禁忌を意味しているといえるでしょう。

こうした強い性規範のなかで、芸術家たちは古代の女神ヴィーナスの姿に女性の裸体美の表現を託してきました。いわば、長い西洋美術の伝統において、”ヌードを描く口実”として、さまざまなヴィーナス像が制作されてきたのです。

「ヴィレンドルフのヴィーナス」。紀元前2万〜3000年頃、石灰岩、高さ110cm、ウィーン、ウィーン自然史博物館蔵。古代ギリシャ・ローマから遡り、先史時代の女神像を見ていくと、その形状は迫力たっぷり。豊饒さを表現した臀部や下腹部に圧倒される。こうした太古のヴィーナス像は、子孫繁栄と豊饒を祈願するために制作されたと考えられている。

次回からは、各時代に活躍した名画家たちの仕事を見ていくことで、ヴィーナス像の変遷を確認するとともに、西洋におけるヴィーナス制作の伝統を概観してみたいと思います◎

出典:『愛と美の官能名画』(メディアソフト)

【世界の官能名画美術館〈番外編 4〉】「ヴィーナス」制作の歴史

愛と美の官能名画 (MSムック)

Buy for Amazon

キーワード