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【世界の官能名画美術館 #13】ボッティチェッリの「ヴィーナスの誕生」

西洋の美の歴史は、つねに性愛とかかわるものでした。あまたの巨匠たちが性を想起させ、異性を誘惑する魅惑の肉体を備えたヌード画を描き、究極の美を追求してきたのです。

このシリーズでは、世界に名だたる西洋絵画の巨匠たちと、彼らが究極の美を追い求めて描いた名画をご紹介していきます◎

誰もが知る名画には、いったいどんなエロティシズムが隠されているのでしょうか?

第13回目は、初期ルネサンスを代表するイタリアの画家サンドロ・ボッティチェッリが描いた「ヴィーナスの誕生」をひも解いてみましょう。

西洋社会によみがえった「慎みのヴィーナス」像

【世界の官能名画美術館 #13】ボッティチェッリの「ヴィーナスの誕生」01

「ヴィーナスの誕生」。1482〜85年頃、キャンバス・テンペラ、175×278㎝、フィレンツェ、ウフィツィ美術館蔵。

西洋では、中世に入ってキリスト教と国家の結びつきが強まると、それまでの古代ギリシャ・ローマ時代の文化は駆逐されていきます。そのため、古代ギリシャ・ローマの文化や科学はイスラム諸国へと継承されることとなりました。

そしてこれが、その後12世紀頃から盛んとなったイスラム諸国との貿易を通じて、ヨーロッパ社会へと逆輸入されるかたちで、改めて古代文化が復興していくこととなったのです。

そのけん引役となったのが、イタリア・フィレンツェの芸術家たち。

メディチ家をはじめとする裕福な商人がパトロンとなり、古代文化に理想の肉体美の在り方を求めた芸術様式「ルネサンス」が、15世紀頃になると花開くこととなりました。

ここで紹介するのは、このルネサンス時代の代表作のひとつとされる名画、サンドロ・ボッティチェッリの「ヴィーナスの誕生」です。

ギリシャ神話における原初の天空神「ウラノス」の切断された男根が、海に投げ出されたときに集まった泡から生まれたとされる「ヴィーナス」。

この作品は、その誕生の瞬間を、貝の上の立ち姿によって表現したもの。手で胸や陰部を覆う姿は、古代ギリシャにおいて流行した「慎みのヴィーナス」像のポージングを連想させます。

【世界の官能名画美術館 #13】ボッティチェッリの「ヴィーナスの誕生」02

「カピトリーノのヴィーナス(ローマン・コピー)」。紀元前330〜225年頃、大理石、193㎝、ローマ、カピトリーニ美術館蔵。乳房や陰部を両手で隠した姿は、「慎みのヴィーナス」として知られ、その後のヴィーナス像制作に大きな影響を与えた。ボッティチェッリの「ヴィーナスの誕生」のポージングも本作に着想を得ているとされる。

彼女の首は長く、極端ななで肩、不自然に間延びした左腕など、写実性には欠けるものの、全体としては優美さと繊細さを併せ持った女神の裸体像となっている点が特徴です。

【世界の官能名画美術館 #13】ボッティチェッリの「ヴィーナスの誕生」03

ボッティチェッリの流麗な線の表現には定評がある。とりわけ本作のヴィーナスの髪の表現に顕著だ。まるで髪の毛1本1本を描くように丹念に描写されている。こうした女性の髪の毛の表現は、いわば優美さと温かさの象徴であり、ボッティチェッリ自身の女性観が現れているようにも思える。

【世界の官能名画美術館 #13】ボッティチェッリの「ヴィーナスの誕生」04

岸辺でヴィーナスを迎えるのは、季節の女神「ホラ」である。彼女が身に着けている花輪は、ヴィーナスの聖木である天人花(テンニンカ)だ。ホラのドレスと、彼女がヴィーナスにかけようとしているガウンには、ヒナギクやクラソウ、ヤグルマギクといった春の花が描かれている。まさに「誕生」というテーマにふさわしい絵柄である。

【世界の官能名画美術館 #13】ボッティチェッリの「ヴィーナスの誕生」05

誕生した女神を岸辺へと運ぶのは、西風の神「ゼフュロス」の息吹。彼に抱かれているのは、その妻にして花の女神「フローラ」である。彼女は、柔らかな息を吹きかけるとともに、ヴィーナスの聖花・バラを辺り一面にまき散らしている。

初期ルネサンスを代表する画家、ボッティチェッリ(1444/45〜1510年)

【世界の官能名画美術館 #13】ボッティチェッリの「ヴィーナスの誕生」06

「東方三博士の礼拝」に描き込まれた、ボッティチェッリの自画像。1475年頃、ウフィツィ美術館所蔵。

初期ルネサンスを代表する画家であるサンドロ・ボッティチェッリは、本名をアレッサンドロ・マリアーノ・フィリペーピといいます。

「ボッティチェッリ」とは、イタリア語で「小さな樽」という意味で、ボッティチェッリの兄が太っていたために、その対比としてつけられたあだ名とされています。

15~16歳の頃、フィレンツェの隣町プラートで工房を開いていたフィリポ・リッピンのもとに入門し、徒弟修行へと入ったボッティチェッリ。その後1469年に、フィレンツェの商業評議所から依頼を受け、「剛毅擬人像」を完成させると、ボッティチェッリの名を一躍高らしめることとなります。

人気画家となったボッティチェッリはその後、メディチ家の庇護を受け、神話や聖書を題材とした物語画(歴史画)を多く手がけました。

時代の寵児となったボッティチェッリでしたが、1494年、失政によりメディチ家がフィレンツェを追われることとなり、その後、修道士サヴォナローラの治政へと変わると、ボッティチェッリの作風も一変。

代表作である「ヴィーナスの誕生」や「プリマヴェーラ(春)」に見られるような叙情的な世界観とは異なり、より神秘的な作品を描くようになっていきました。

【世界の官能名画美術館 #13】ボッティチェッリの「ヴィーナスの誕生」07

「プリマヴェーラ(春)」(1477年 – 1478年頃、ウフィツィ美術館)。

出典:『愛と美の官能名画』(メディアソフト)

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