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【世界の官能名画美術館 #16】ブロンズィーノの「寓意のヴィーナス(愛の勝利の寓意)」(後編)

西洋の美の歴史は、つねに性愛とかかわるものでした。あまたの巨匠たちが性を想起させ、異性を誘惑する魅惑の肉体を備えたヌード画を描き、究極の美を追求してきたのです。

このシリーズでは、世界に名だたる西洋絵画の巨匠たちと、彼らが究極の美を追い求めて描いた名画をご紹介していきます◎

誰もが知る名画には、いったいどんなエロティシズムが隠されているのでしょうか?

第16回目は、”マニエリスム随一の寓意画家”と呼ばれるイタリアの画家、アーニョロ・ブロンズィーノが描いた「寓意のヴィーナス(愛の勝利の寓意)」を、前後編にわたってひも解いてみましょう。

【前編はコチラ】

「寓意のヴィーナス」にこめられた意味を読み解く

【世界の官能名画美術館 #16】ブロンズィーノの「寓意のヴィーナス(愛の勝利の寓意)」(後編)01

「寓意のヴィーナス(愛の勝利の寓意、愛のアレゴリー)」1540〜1545年頃、板・油彩、146×116㎝、ロンドン、ナショナル・ギャラリー蔵。

ヴィーナスの握る黄金のリンゴは、「世界一美しい女性の証」として彼女に与えられた果実。これは、ギリシャ神話のなかの「パリスの審判」という挿話で語られる物語にちなんでいます。

【世界の官能名画美術館 #16】ブロンズィーノの「寓意のヴィーナス(愛の勝利の寓意)」(後編)02

ルーベンスの「パリスの審判」、1636年、ナショナルギャラリー蔵。「最も美しい女神へ」と書かれた黄金のリンゴをめぐって争っていた”天界の三美神”、神々の女王ヘラ(ヘーラー)、知恵の女神アテネ(アテーナー)、愛と美の女神ヴィーナス(アフロディーテ)のなかで誰が最も美しいか、パリス(アレクサンドロス)が判定させられた事件。パリス(黄金のリンゴを持つ男)は、真ん中のヴィーナスを選んだ。

しかし中世以降、西洋を席巻したキリスト教の世界において、リンゴは原始の人間であるアダムとイヴが、神との約束を破って口にした「善悪の木の実」とされた果実。

その結果として人類は楽園を追放され、重い原罪の苦しみを背負うこととなりました。

すなわちリンゴは、「美しさ」と同時に「禁忌」の象徴でもあるのです。

こうした含意を頭に入れて、改めて「寓意のヴィーナス」を鑑賞すると、わが子と恋人のように愛し合うヴィーナスの手にリンゴが持たされているのは、「許されざる親子の禁断の愛」を示唆しているのではないか、という解釈も成立します。

このように、「寓意画」の醍醐味は、当時の時代状況や歴史、知識などを踏まえて、同時代の鑑賞者たちがこの絵をどのように読み解いていたかを推理するところにあります。

ここではいくつかのヒントを挙げておくので、実際に自分でも、この「マニエリスム最大の寓意画」の読み解きに挑戦してみてください◎

【世界の官能名画美術館 #16】ブロンズィーノの「寓意のヴィーナス(愛の勝利の寓意)」(後編)03

画面右上の老人の肩には、砂時計が描き込まれている。このことから、この翁は時を司る神クロノスとされる。

【世界の官能名画美術館 #16】ブロンズィーノの「寓意のヴィーナス(愛の勝利の寓意)」(後編)04

翁の姿で描かれるクロノスと対照的に、画面左上奥の暗がりでは頭を抱えた老女が描かれている。この老女は、「嫉妬」を表すと考えられている。

【世界の官能名画美術館 #16】ブロンズィーノの「寓意のヴィーナス(愛の勝利の寓意)」(後編)05

ヴィーナスの足元に転がる仮面は、顔を覆い隠し本来の表情を読み取れなくさせることから、「愛と快楽に潜む偽り」を示唆する。

【世界の官能名画美術館 #16】ブロンズィーノの「寓意のヴィーナス(愛の勝利の寓意)」(後編)06

クピドのものと思われる足の下には鳩が描かれている。今日では「平和のシンボル」とされるが、ここでは「愛欲」を表していると考えられている。

画面中央右奥に描かれた少女。

なかでも、本作のなかで最も奇妙な図像が、画面中央右奥に描かれた少女。

下半身は怪物のような足と尻尾の姿で描かれ、手は左右逆についています。そして、「正義」を意味する右手に持たされているのはサソリ。「邪悪な手」といわれる左手には、ハチミツ。

本来持つべきものとは反対となっています。

こうしたあべこべなポーズをしていることから、この少女は「欺瞞」を象徴しているとされているのです。

マニエリスム随一の寓意画家、アーニョロ・ブロンズィーノ(1503〜1572年)

【世界の官能名画美術館 #16】ブロンズィーノの「寓意のヴィーナス(愛の勝利の寓意)」(後編)08

アレッサンドロ・アローリによるブロンズィーノの肖像画。

アーニョロ・ブロンズィーノは、マニエリスム初期から中期を代表する画家で、本名はアーニョロ・ディ・コジモ・ディ・マリアーノ・トーリといいます。

イタリア・フィレンツェ近郊の貧しい肉屋の息子として生を受けますが、1515年に、マニエリスムの始祖的な画家であるポントルモの工房に弟子入りします。

師のポントルモとともにサンタ・フェリチタ聖堂の装飾などに従事すると、その後、メディチ家の知遇を受け、コジモ1世やエレオノーラ・ディ・トレドなどの命により、多数の作品を制作しています。

以後、メディチ家の宮廷画家として活躍したブロンズィーノは、公爵家族の肖像画の制作やメディチ家のタペストリー工房のため、数々の下絵を描きました。

師のポントルモが1557年に亡くなると、サン・ロレンツォ教会で未完成となっていた師のフレスコ画作品を引き継いで完成させたほか、その後、アカデミア・デル・ディゼーニョの設立にも貢献したとされています。

ブロンズィーノは生涯、フィレンツェを活動の拠点としましたが、1546年から2年間、ローマに滞在したともいわれています。

そして1572年、愛弟子の家で息を引き取り、サン・クリストフォロ・デイ・アディマリ教会に葬られました。

その画風は、マニエリスムと特有の複雑で誇張された人物構成・人物描写ですが、こうした構図が生み出す「不穏な官能性」が、ブロンズィーノの特徴でもあります。

【前編はコチラ】

出典:『愛と美の官能名画』(メディアソフト)

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